編集を進めてまいりました
「可睡斎護国塔物語」 冊子が完成いたしました。
昨日、袋井市教育員会へ寄贈するために、可睡斎斎主様と共に、実行委員会メンバーで市役所へ。
思いだせば、
「建築の力」を感じたこの一連の流れ。
3年前に、たまたま写真を撮りに行った「可睡斎護国塔」・・・
その時の記事→
http://kuraft.hamazo.tv/e2278451.html
そこで、護国塔が建立100年を迎えることを知り。
そんな話しをたまたま投げかけた方が可睡斎門前
「じぇらーとげんき」の木村さん。
その年末のあわただしい中、文化財に詳しい先輩建築士の敬雄さんも誘って、駅前の居酒屋で伊東忠太の話しで俄然盛り上がり、これは世に伝えねば。と。
「さて、この先どうしようか」 と。まずは、可睡斎に何度か足を運ばれていたという伊東忠太研究の
倉方俊輔先生(現大阪市立大大学院准教授)をお呼びしようということになり。
その会合に、お誘いしたのが、前県教育長の遠藤先生。(この方が実は大変な人物だということを後に知り・・・)
年明け間もない頃、可睡斎の精進料理をいただきながら。
何かが始まる、という予感。
それから実行委員会が組まれ、初めての事業である 倉方先生の記念講演は、東日本大震災の次の日でした・・・。
年齢も職業も個性も全く違うメンバーが様々なことにぶち当たりながら、ひとつずつ解決をしていきました。
大変でしたが、その分楽しかった。 こういう経験はこれまでありませんでした。
伊東忠太がきっかけでしたが、護国塔にまつわる歴史や石碑を通して書についてまで、その専門家の先生方がこんなにも一生懸命協力してくださるなんて。
そして、伊東忠太にまつわる素晴らしい作品を制作してくれた高校生たちと指導してくださった先生方。
勉強会を重ね、見学会では京都を訪ね、そこで出会ったのが、聴竹居倶楽部代表であり、竹中工務店設計本部の
松隈章さん。
聴竹居のこと、西本願寺伝道院のこと・・・そして塩屋町のこと。多くの事を教えていただきました。
日本には伝えるべき建築がたくさんある。それは建築というカタチだけではなく、その精神性や郷土愛、多くのものを含んでいます。
ひとつの建物によって、こんなに世界が広がるのだ、という学び。 たいせつなモノや精神を守るという実践。
この出会いは、本当に貴重なものでした。
100年を経た「可睡斎護国塔物語」は、私の中にも、もうひとつの物語をつくってくれました。
護国塔100年展の終了後、実行委員会は「袋井まちそだての会」に改名し、再び、郷土に埋もれた歴史の掘り起しを行っています。新たな学びと出会い。
何事も、ひとつの想いは突き詰めていくと、それはむしろ、広い世界につながるのだと、実感しています。